見方を変えれば、世界は変わる
見方を変えれば、世界は変わる。
なんだなんだ急に!?って感じですよね笑
でも、私がそれを経験して、とても、とても大切な事だと思っています。
私は、子ども達が学校に行かなくなるまで、いろーんな”こうあるべき”に囚われていました。
母親はしっかりしなくちゃいけない。料理も家事もちゃんとしなくちゃいけない。とてもしんどかったです。でも、そんな考え方をやめるようにしたら、子ども達が自分のできる事をやってくれるようになりました。
学校に行かなくなった子ども達の為に、なんとか居場所を作ってあげたい。そう思って必死になっていた時がありましたが、やればやるほど、子ども達を否定しているような感じになっちゃって・・・。それを手放して自分のやりたい畑に行くようになったら、子ども達も畑に関心を持つようになってくれました。
学校に行かなくなった我が家の子ども達を心配だと不安に思っていた時と、好きな事をしたらいいと応援できるようになった今と。”学校に行っていない”という状況は変わっていないけれど、気持ちも状況も全然違います。
今は、家族の中で、笑い声がたくさんあります。何よりも、笑う事を大切にしています。
不登校の数が18万人と過去最高だそうですが。それを問題と見れば、問題です。
でも、見方を変えたら、チャンスなんじゃない?って思ってます。
何かを変えるチャンスです。
社会では、子ども達にとって、どんな教育方法が良いかとか、どんなシステムを整えれば良いのか、どんな環境を準備すれば良いのか等、あらゆる方法で試行錯誤されてますけど・・・
完璧な教育環境を作れば、みんな学校に行くの?
問題は本当に学校?
素晴らしい教育がないと、未来はないの?
子どもは何もできないの?何も考えていないの?
与えないと、何もしなくなるの?
教えないとダメになる?
学ばないとダメになる?
基礎的学力を早期につけないと社会に通用しない?
親が準備しないと何にも進めない?
私自身もこういった価値観の中で育ってきたから、このように考えちゃうのもよーーーーーくわかるんですけど。私だって、最初は自分の生きてきた道と全く違う道を選んだ子ども達と向き合って、不安だらけでしたけど。
自分の不安は、”作られたもの”だとひとつひとつ丁寧に見方を変えていったら、笑えるようになってきたんですよね
極論ですけど、1万年と平和に長く続いた縄文時代には、学校はなかったんです(学びの場はあったかもしれませんが)
今の教育って、戦後〜のもので、100年も経ってないです。
その間に教えられる内容もいろいろと変わっています。
計算の仕方が変わったり、歴史の年号が変わったり、漢字の書き順が変わったり、宇宙には銀河系の外にもっとたくさんの銀河系があるとわかったり・・・。
冷静に考えるとね、”常識”って泡みたいなもんだなーーーーってつくづく思うんです。
すでに、教育も小さな事はたくさん変わってきてる。これからだって変わって良いんです。
18万人の子ども達はそれを教えてくれてる。
私は、不登校を経験している子ども達と会う機会が増えましたが、”問題”を感じた子は一人もいません。むしろ、”問題”とされている事を理解しすぎて、自分が悪いと思ってしまって、縮こまってしまっているように見えました。優しくて、素直でとても素敵な子達なのに・・・なんで?ってなんだか悔しくて仕方がなかったです。
悔しいと言うかね、もったいないんですよね。本当にもったいない。
”不登校”っていう言葉で18万人の子ども達の自信を奪っちゃったら、それこそ、未来にとって大損失ですよ。
ただでさえ子どもが減っちゃっているのに、誰が困るって、、、みんなですよね。
18万人の子ども達が成人するまで、そんなに時間はないですよ。だいたい10年ぐらいですかね?
私の両親はいわゆる団塊の世代ですけど、あと10年で80歳〜90歳です。その頃に、若い人材がどれほどいるかって考えると・・・怖いですよ〜。ホント怖い。
そう考えるとね、18万人の子ども達が行けるような学校がたくさんできるのを待ち続ける余裕はないはずなんです。待ってたら自分たちがめちゃくちゃ困る事になるんです。きっと18万人という数字も増えていくでしょう。
本当に、待ってて大丈夫?って切実に思います。
でも、大丈夫。
見方を変えれば世界は変わるんです。
私は、子ども達が学校に行かなくなってから、約5年ほどかかりましたが、見方を変えて、状況も変わっています。学校には行けていませんが、子ども達の”自信”は取り戻しつつあります。
この5年の間に、理解を示してくださる方も格段に増えました。これからの時代は見方を変える事はそんなに時間はかからずにできると思います。というか、もう変わり始めている気さえしています。
不登校の子達が、新しい時代を作ると見方を変えれば良いんです。
いつの時代も、時代を変えてきた人たちは最初は社会からは厄介者扱いされたりしています。
不登校でも、自信を持っていいんです。生きていく場所は必ずあるんです。タネは土が合えば、勝手に芽を出すんです。
私、かなり本気で思ってるんですけど、私の孫ぐらいの時代には『え?おばあちゃんの子どもの時って、みんな同じように学校に行ってたの??うそ!!!え〜〜〜!!!想像つかな〜い!!』って言う会話があるだろうなって思ってます笑
んなアホなって思います??
でも、他のもので考えて下さい。コードで繋がれた電話も、公衆電話も、ポケベルも、スマホに変化しているんですよ?時代って、変化するものなんです。なんにも特別な事じゃない。自然の流れです。
ちなみに、私がこうやって書いているのは、過去や今を批判したいわけじゃないです。
過去があるから今があるわけで、批判しても何の意味もありません。
過去があるから、今の自分もいるわけですしね。
私だって、たまたま我が子が学校に行かなくなって、いろいろと考えさせられることが増えたので、感じるようになったことを書いているだけです。
ただ、今を楽しみに、未来を楽しみに、日々を笑って過ごせる人がどんどん増えたら良いなと思っているだけです。そして、それができると思っているだけです。そうなるって思ってるだけです。
見方を変えましょう。見方を。
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