ギフトな時間


ここ最近、
末っ子の調子と様子が気になっていて。

便秘と嘔吐。
夜中のトイレ。

熱もないし、
ひどい便秘でもない。

きっと、精神的なものなんだろうなー
と、うっすら感じていて、

”どうしてやればいいんだろう…”

と、末っ子の事が気になりつつも、
自分の事を優先していた私。

末っ子も
口では”大丈夫”って言っていたので
それに甘えてました。

が、先日、末っ子が調子を崩して、
これは”サイン”だなと確信しました。
”ちゃんと行動しなきゃ”と。

でも、その行動は
”末っ子の為に”
ではなくて、

”自分の為に”
なんです。

今、行動しないと
”自分”が後悔する。
そう思ったんです。

*****

長女の異変があったのも
3〜4年生。
今の末っ子と同じぐらいの時期でした。

長女の時は、
相当自分を責めました。

『私がみてなかったから』
『私がやりたい事優先してたから』
『2番目で手をかけて
 あげれてなかったから』

なので、
長女と意識的に関わって、
二人で過ごす時間を増やしたんです。

結果的に、
長女との時間は
私にとっての”ギフト”になりました。

*****

だから今回も、
末っ子との時間は
私にとって”ギフト”になる。
そう思ったんです。

今は手を繋いでくれるけれど、
あと数年したら嫌がられるな〜って笑。

ただ、今回は、
ちょっと自分の気持ちが違っています。

自分を責めるという事を
少し止めることができました。

そして、
末っ子の問題を解決するために
二人の時間を作っているわけじゃない。

そんな風に思うようになりました。

末っ子の様子は確かに気になるけれど、
それは末っ子の課題であって、
私はきっかけかもしれないけれど、
原因ではない。

『末っ子との時間を作りたいのは私』

二人の時間によって、
何か行動を起こしたり、
変化を試みるのは
あくまでも未っ子の課題。

アドラーで言う課題の分離ってやつですね。

*****

”子どもの為になんとかしてやりたい”

親ならどうしても考えちゃうことです。

でも、先日
”夢見る小学校”
 
という映画を見て、

子どもの持つ可能性の
素晴らしさを改めて知って、

私はまだまだ子ども達を
”信じれてないんだな”
と、痛感したんです。

親子であっても、
子どもの人生を代わりに
進むことはできない。

子どもの人生の課題は
あくまでも子どものもの。

家族として、
同じ時間をどう過ごすかを大事にすれば、
きっと、子ども自身が
自分の力で動きだすんだな〜

そんな事を教えられました。

末っ子との今の時間を大事に。

ちょっとした事でいい。
できる時に散歩をしてみたり、
一緒にお風呂に入ってみたりしています。

二人の時間は、
ささやかな会話や、
手を繋いだり、ハグをしたり。

私にとって”ギフト”になっています。

これでいいんだな。
頑張れ、末っ子。

SATO LIFE to omogaeru

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