出来るプロセスは自由でいい


先日、末っ子が
初めて手紙を書いてみました。

どんな風に書けばいい?

と、聞かれたので、
アドバイスしていたら、

そのうち、
『だいたい書く事頭に出てきたから、
もう、何も言わないで』
と、言われました笑

すると、
たしかにちゃんと文章が頭にあるようで、
それに合わせて漢字をスマホで検索して
ひたすら写し書いていました。

まー、それが
書き順が酷くて笑

よく、そんな順番で字が書けるね

と、言う言葉は必死に飲み込み笑
(ちょっと漏れ出たりもしましたが笑)

とにかく見守り続けて、
時間はかかりましたが、
頑張って書き上げていました。

出来上がった手紙を見てみると、
変な話、
それなりにちゃんと書けていて
漢字もちょっと独特ではあるけれど、
バランスはあって、
ある意味新しいフォント?的な
雰囲気のある手紙になってました。

なんだかね、
末っ子が頑張って手紙を書いた
約1時間を通して、

手紙の書き方や、
漢字の書き順にこだわっていた自分が
まだまだ捉われてるなー
と、感じてしまったんですよね。

おそらく、
末っ子のタイプ的に、
書き方や書き順に口を出しすぎていたら
書く意欲を失っていたと思うのです。

でも、
必死に黙って見守ったら、
それなりに出来上がって、
私が思うほど酷くなく、
末っ子も達成感を感じる事ができたわけで。

うまく言えないのですが
書き方や、
書き順にこだわる意味は
なんなんだろう?

と、思ったんです。

酷い書き順なりに、
末っ子の中で書きづらければ、
書き順を変えて書いたりもしていました。

歴史の中で積み重ねられてきた
書き方や書き順。
それも大切ではあると思うのですが、

できなかったとしても、
文章を書き、
文字を書き、
表現する術を持てるなら、
それでいいのかもしれないと…。

長男の絵の描き方も、
ある意味理解できなくて。

中心を描いてるかと思いきや、
急に外れたところに書き出して、
それでも、最後は1つの作品になる…

おそらく、絵の書き順としては
不思議なタイプだと思うんです。

でも、作品はできてる。

長女の料理も、
基礎なんてないけれど、
プロのパティシエの動画を見て、
お菓子を作れてる。


"何かができるようになる"


のカタチや順番って、
本来はもっと自由でいいのかも。

出来るなら、
出来るやり方で良いのかも。

ちょっと強引かもですが、
ニワトリも、
最初は小さな卵で
産み方も身体もまだまだこれから。
できるようになるプロセスは、
みんなそれぞれ。

SATO LIFE to omogaeru

自然が教えてくれるコト・里山作りのお手伝い・自分なりの生き方、学びのカタチ

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