極論だとは思いますけど、大事な気がしてます。


我が家の子どもたちが学校に行かなくなったとき


よく言われた言葉


将来大丈夫?

社会でやっていけないんじゃない?


そんなの親が一番心配だったし、言われなくても不安ですよ!って言いたかったけど笑


将来のことよりも、”今、生きてくれること”の方が大事だったから、”生きること”に集中して数年間、子どもたちと向き合ってきました。


そして今。


今年、お米づくりをお手伝いさせていただいていて感じた事。脱穀をして、お米になった姿を見て感じた事。


我が家の子どもたちは、お米を作る事を学べたわけで、もちろん、まだまだこれからではあるけれど、”生きる”という事を学べているんだなと感じたわけです。


他にも火を起こす事を教えていただいたり、野菜を育てれば食べられるという事も経験しました。スーパーで買い物ではなく、”生きるために食べる事”を色々と教わりました。


もし、何かあったとしても、”生きる術”を体験したわけです。


生きると言うことは、
食べるという事。

でも、

その食べるために必要な事、

学校でほとんど教えてないよね?

じゃあ学校ってなんなの?って思うのです。


学校に行かないと、生きていけないかのように心配されたけれど、我が家の子達は”生きるための事”を学んでいます。


ね。そんな事を感じるわけです。


どんな風に育てればいいかとか、

どんな教育をすればいいかとか、

どのような選択肢を増やせばいいかとか、

不登校問題を解決しようといろんな模索がされているけれど、


その教育ってなんなの?って根本的に感じるようになっちゃったんですよね。


とはいえ、これは極論である事はわかっています。


学校で学ぶ事は無駄ではありません。学校で学んで、どんどん発展させて、社会に役立ててる人も沢山いるわけで。大切な場所である事は間違いではありません。


でも、合わなくて苦しんでる人がいるのも事実で。

何が言いたいかって、

要は、これからは、

自分にあった学びがなんなのかを考える・感じる時代になるなと思うのです。


どんな服を着るのか、目の前に並べられた服から選ぶのではなく、自分がどんな服を着たいのか、自分に問う時代。


問うた結果、目の前の服を選ぶのか、服を作りだすのか、服を探しに行くのか…。


どれを選べば将来成功するか?ではなく、

何が一番自分にあってるかを考えられるようになる事が大切な気がします。


学校で学びたいのか、農業や林業を実践的に学びたいのか、学問なのか、技術なのか、自分を活かせる方法はなんなのか。


原点に戻ると、自然はちゃんとそうなっているんです。


雑草も、木も、動物も。自分の生きるように生きている。それで、バランスが保たれています。


人間だって、生き物です。自然の一部。


自分の生きるように生きたって、それなりにバランスが保たれるはずなんです。


みんなと同じように生きなければ、将来がないなんて、周りが困るなんて、何を根拠に。おかしな話です(^^)


我が家の子どもたちが、苦労をしないとは言いません。学校で学んでいない分、それなりに困る事だってあると思います。でも、それが不幸かといえば、そうではないと思っています。その時の対処方法なりをその時に学べばいいんです。生きてさえいれば、なんとかなるわけです。


幸せか不幸かなんて、起こる出来事で決まるわけではなくて、自分で決める事ですしね。


生きてさえいれば、自分のままでいれば、それで大丈夫だと思うんです。

SATO LIFE to omogaeru

自然が教えてくれるコト・里山作りのお手伝い・自分なりの生き方、学びのカタチ

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