行き場がないから、枠から出てみたお話し
先日、学校の先生とお話ししている時に
"HSP"ってご存知ですか?って聞いたら
『いや、聞いた事ないですね』とおっしゃっていて
正直ちょっとびっくりしました。
学校に行けない子の中には
感覚的に過敏な子も多いだろうし、
”HSP"に関する”繊細さん”という本は
本屋さんにもたくさん並んでるし
結構話題になってるのにな…。
なんて思っちゃいましたけど、
違いますね。
自分の関心=先生も同じ
…なわけないですよね。
先生、めっちゃ大変ですしね。
情報が増えて、
保護者の考え方も、
子どもへの対応も多様化していて、
場合によっては福祉的な問題も絡んでいたりして。
”育てる”ことへの対応も大変なのに、
”学び”の方法もどんどん変化してきていて、
英語やら、プログラミングやら、
アクティブラーニングやら、IT化やら…。
”担任の先生一人”にのしかかるものが
どーーーーーー考えても多すぎます。
押し付けすぎです。
例えるなら〜
育ち方も性質も違う30種類の野菜を
同時に同じような”実”をつけさせるように
あらゆる方法を好き勝手に押し付けられて
『え、これ、結局それぞれに対応せな意味ないねんけど?』
的に、パニックになっている状態かなと…。
(例えになってるんかな?笑)
結局、”学校”というシステム自体、
機能不全に陥っている
と思うんですよね。
人の問題じゃなくて、
システムの問題だと思うんです。
って、そんな事ブログで言ったって
わかってるよ!って言われるでしょうし
何の解決にもならないのでしょうけど…。
学校に行けない子を持つ親として、
学校に頼れなかったらどうしろって言うねん!
っていう救いのない話になっちゃうんですけど…汗
結局、究極、
我が家は
”学校”という枠に頼らない事に決めたわけです。
制度?として、所属もさせていただきますし、
所属している限りは状況もお伝えしますし、
頼れる部分は頼らせてもらっています。
断ち切ったわけではないですし、
敵視しているわけでもないです。
我が家の子ども達は、
私たち親の責任で見守り、
子ども達は自分の人生に責任を持ったわけです。
いずれ学校も変化するでしょうけど
変化を待っていたって仕方ないですし。
学校に人生を委ねられないですしね。
これが正解かどうかはわかりません。
迷う事も悩む事もあります。
でも、それはどんな道を選択してもついてくる事。
その時その時必要な対応をしていくだけ。
学校のない時代があって、
その時も人は成長していたのですから、
出来ない事はないはずですしね。
そうやって、
自分たち家族が”今”求めるものを繋いでいけば
何か新しいものが見えてくる気もしています。
0コメント