環境を選択できる大切さ


修学旅行へ行って
楽しかった思い出を
沢山持って帰ってきた末っ子

そのすぐそばで
複雑な想いの子がいました。

長女です。

彼女は、
過去に学校へ行っていない中、
なんとか頑張って行った自然学校で
ヘトヘトになって帰ってきました。

なので、
末っ子が修学旅行に行く事も
無理をしたら良くないと、
とてもとても心配していました。

それが、
楽しんで帰ってきた末っ子を見て
予想を覆されて
色々と複雑な様子でした。

***

私は、普段、

不登校と言う言葉は使いたくないし
学校に行かないというのは選択肢のひとつで、
不幸ではないし、
そのままでいいじゃないか。

子ども達と
そんなふうに話していました。

ところが、
少し前に長女が話をしてくれたのが

『私は、自分が不幸だと思いたい。
 クラスの子達とあわなかったし
 クラスの雰囲気も荒れていたし
 楽しい思い出がない』

『不幸だと思わないと、
 楽しい思い出が無いのは
 自分のせいだと思ってしまうし
 そう思ってもいたし
 それがしんどい』

そんな風に話をしてくれて、

…確かにそうかもしれないな
と、思いました。

"不幸ではない"

そう思いたかったのは私で、

長女は、
自分が不幸だと思う方がラクだったんです。

でも、実際、
不幸…というか
不運なのかもしれません。
(良い悪いは別として)

長女の学年の雰囲気が、
末っ子の今と全く違うからです。

そして、
どんな学年に入るか
どんな学年の雰囲気なのか
選ぶ事はできないからです。

今の日本では、
一般的に、産まれた年で、
それは決まってしまうからです。


誤解されたくないのは、
長女の学年の子達を
責めたいわけではないんです。

長女がその環境にあわなかっただけなので。

でも、
長女のこの想いを通して

"その子にあった環境を選択できる大切さ"

は、切に感じるようになりました。

選択できるかできないかで

環境に合わなかったのは
自分の責任かもしれないという
不安と闘いながらいるのか

この環境は自分には合わないと
別の環境を求めて
前向きに進んでいけるのか

大きく違うし、
その子の人生にとって、
非常に重要な事だと思うんです。

今、学校に行けていない子が増えていますが、
その子達が、
ただ学校に行けてないという事で
自信を失って欲しくない。

強く思います。

選択肢は本当に大切です。

そして、
その選択肢を作れるのは
大人の力量だと思うんですよね。

ぜひ、
選択肢を増やしたり
選択できるシステムを作って欲しいものです。

そして、私も
ただ願うだけでなく、
わずかでもひとつの選択肢を
作っていけたらと思います。


長女は、確かに不運だったかもしれない。
でも、今、少しずつ進み始めています。

いつかは、
過去の経験が長女の糧となり、
仲間との良い思い出が作れる事を
願うばかりです。


 
写真は、
稲刈りを手伝ってくれている長女
です。
7.20












SATO LIFE to omogaeru

自然が教えてくれるコト・里山作りのお手伝い・自分なりの生き方、学びのカタチ

0コメント

  • 1000 / 1000