学びはどこでにでもある。学校だけだと思ってたらもったいないよ
先日、長男がかけてもらった言葉。
『学びはそこらへんどこにでもあるよ
いろいろ学んでいったらいいよ』
もう、かなり感動しちゃいました。
そして、この言葉で、
なんかハッ!!!としたんです。
今、教育を変えなきゃ!!
みたいな話も多いですが、
教育を変える=学校を変える
っていう感じですよね?
なんかね〜、違和感を感じてたんですよ。
いや、学校を変えるのも必要だとは思うんですけど、
それだけじゃない気がしてて。…
それが、
『学びはそこらへんどこにでもあるよ
いろいろ学んでいったらいいよ』
という言葉を聞いて、
これだ!!
って思ったんですよ。
あのですね…、
教育を変える=
教育の概念を変える
ですよ。
なんか、小難しくなってきた。
いやだ。
難しくしたいんじゃないねん。
でも…。
教育=学校
じゃないよ。
教育=おしえはぐくむ
これは、学校だけで行われるのではなく、
社会全体で育むもの
で、
学校は、教育の一部でしかない
ってことです。
まだまだ小難しいな(汗)
例えると、
教育は未来を支える土台のようなもので
今は、
学校だけでその土台を作ろうとしてて、
未来に必要になりそうな土台を、
ぜーんぶ学校に作らせようとしてて、
学校が作る土台に合わない子ども達が苦しんでて、
でも、学校がその子達を救おうにも
他の土台を作る余裕もなくてパンクしちゃってる状況。
で、なんとかしなきゃと、
学校の土台づくりの方法を変えようとしてるけど、
そうじゃなくて、
学校も、
家庭も、
地域も、
企業も、
社会も、
みんなで土台を作っていけばいいやん
って思うんです。
学校では勉学。
家庭では、日常生活。
地域では、社会との関わり方。
生きるための学びは、
農業や、林業や、伝統工芸や、投資や、IT技術や、
そこらじゅうに転がってる。
知りたいこと、
やらなきゃいけないこと
たくさんある。
学校の学びだけが学びじゃないし
かといって、
学校の学びも大切。
要は、
みんな一緒じゃなくていい
ってことです。
その人、その子にあった学びをしていけばいい。
学校で学びたい子は学校で、
学校以外に魅力を感じるなら学校以外で
日常の生活に関心があるなら、家庭で
自然に関心があるのなら、自然の中で
大人は、学校だけじゃなくて、
みんなでその環境を作っていかなくちゃね。
と、いうわけで。
学校に行けない・行かないことは
何も後ろめたいことじゃなくて
違う学びをすればいいだけのこと。
ひとつの人生のきっかけにすぎないということ。
不登校は子どもの問題じゃないよ。
大人が、学びは学校だけしかないと思ってるから
不登校なんて言葉がでてきちゃうのよ。
大人の意識が
問題にしちゃってるだけよ。
学びはどこにでも転がってるし
どこででも教えられる。
そう大人が思ってれば、
子どもだって、安心して動けるよ。
もう、
不登校なんて言葉なくしちゃえ。
気にしなくていいよ。
どんな些細なことでもいい。
自分の学びを探せばいいねん。
あなたの生きている意味は
学校だけでは決まらない。
世界は広い。
学ぶこともたくさん。
可能性も無限大。
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