学校より、何よりも大切にして欲しい事
最近、より強く思うようになった事があるんです。
学校ってなんなんだろう?
学校の存在が間違ってるとは思っていないんですよ。学校を楽しんで、成長している子はたくさんいます。でも、一方では、行けなくなる事で自信を失っている子がたくさんいることも事実なんですよね。
学校に行けないその子自身は、普通に生活しているだけです。何の問題もありません。学校に対してひどい事をしたわけでもないし、勉強に対して反抗的だったわけでもないです。なんなら、逆にものしずかなタイプだったり、優しすぎるタイプだったりします。
なのに、どうして”学校”に行けないだけで、自信を失う必要があるんだろう?って思うんですよ。生きる自信を失うほどに”学校”ってすごい場所なんでしょうか?
そして、”学校”という場所に行けないだけで、なんで、”可哀想”だったり、”心配される存在”になるのでしょうか?
人は誰でも素敵で輝けるものを持っています。それが、みんなが行っている”学校”に行けないだけで、失われるほどの事なのでしょうか?
”学校”という”ものさし”はそんなに人生を左右するものなのでしょうか?
なんだかね…なんだかね…
めちゃくちゃもったいなくないですか?
ほんとはキラキラするもの持ってるのに、”学校”が苦手だったり、行けないだけで、そのキラキラを活かす事ができなくなるって…、もったいなすぎません??
もし、これを読んでくれている学校に行けない子がいたら、声を大きくして伝えたいです。
大丈夫だから。そのままでも、あなたの生きる道は世界のどこかに必ずあるから。人生終わったなんて思わないで、始まりだから!あなたはこれからいくらでもあなたらしく生きたらいいし、自信を失う必要なんてど〜〜〜〜っこにもないから〜〜〜〜〜!!!
本来、”学校”はそういう場所ではなかったんだと思います。人を活かす為の場所だった。でも、きっと時代の流れや経済の流れ、価値観の流れと共に、絶対的なものになってしまったのだと思います。
実は、私も、子ども達が学校に行けなくなった当初は、子ども達を可哀想だと思って、心配していました(汗)他の子と同じように学校で楽しめない我が子達に対して、可哀想だし、なんとも助けてあげられない申し訳ない気持ちでいっぱいになるときが多々ありました。
でも、ありがたい事に健康だし、寝れるし食べれるし遊べるし、どこが可哀想なんだろう?ってふと疑問に思ったんですよね。確かに学校に行って、勉強はできてないし、みんなと行事を楽しむ事はできないけれど、それで一生不幸かって言ったらそうでもないし、勉強はやろうと思えばいつでもできるし、楽しい思い出だっていつでもできる。なんなら、今、学校に行ってない時間を楽しいものにだってできる。そんな風に思えた時があったんです。
そして、可哀想とか、心配だ…と思って子ども達を見ていたら、子ども達も”自分は可哀想なんだ”と思っちゃうかもしれないし、それは、何かが違う…と。
なので、今は、周りを見て不安になる時があったとしても、
”学校に行ってないぐらいで自信を失う必要はない!!”
と、話すようにしています。
何が一番もったいないって、やっちゃいけないって、学校に行けない事じゃないんです。
自信を失う事です。
自信を失うって、誰しも生きていたら経験する事なのかもしれませんが、無駄に自信を失う必要はありません。学校に行けないのは、ただ、学校という環境、しかも住んでいた学区の学校に合わなかった…というだけで、誰も何も悪い事してないし、学校行けないぐらいで、自信を失う必要は一切ない!!
声を大きくして、どんどん伝えたいと思います。
我が家の子ども達が3人とも学校に行けなくなった。最初はどうなるんだろうと不安になる事も多かったですが、今では、これは不幸な出来事ではなく、きっと何かのめぐりあわせなのだと思っています。私たち家族は、これを経験する事で、行き着く何かがあるのだと信じています。実際、長野に移住しましたしね(笑)
一見不幸に見える事も、必ず何かに繋がります。学校に行けなくても、それも人生の糧となる日がきます。大丈夫です。楽しく、笑っていきましょう♪
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