長女が思い出させてくれた、心にとって何よりも大切なこと



その後の長女の話です。


自分は”本当は友達が欲しかった”と思い出した長女。


『認めたくない!!』『1人の方が楽だ!!』と、言いながらも、何か糸口を見つけたような、キッカケを掴めたような…どこかスッキリとした様子でその日は寝ていました。


とはいえ、次の日も、同じようにゲームで自分自身を自己否定の連続でした。そりゃ、そんなすぐには変わらないですよね。


長女は、『せっかく”友達が欲しかった”という気持ちに気がついたのに、何も変わらないのはなんで??』と、イライラしていました。


そして、また2人で話をはじめました。


長女が『なんでやと思う?』『どうしたらいいん?』としきりに聞いてきます。今まではなかった事です。きっと、”もう、殻を破りたい”と、長女の心の奥底に眠っている気持ちが、何かから抜け出たくて仕方がなくなってきているのだと思います。


私は、『自分の事や、自分の気持ち、自分が頑張ってきた事を、自分自身で受け止めてあげて欲しい、褒めてあげて欲しい。』と話をしました。


私:『お母さんがいくらあなたのことを”頑張ってきたね””あなたは悪くない”と言っても、あなた自身がその言葉を受け止めてくれないと、あなたの心は辛いままだよ?』


私:『”本当は友達が欲しかった”という気持ちに蓋をして、ずっと我慢してきたあなた自身の辛かった気持ちに気づく事ができたけど、その気持ちを受け入れられてる?認めてる?頑張ってきた自分をちゃんと褒めてる?』


長女:『え〜…褒めるったって、ウチに褒めるところなんて、ひとつも無いし…。』『自分の気持ちを認めるってよくわからん。』


私:『そうやなぁ〜。気持ちが辛くなったら、”私よく頑張ってきたな〜、偉いなぁ〜”って呟いたらいいねん。”よく我慢してきたな〜”とかでもいいよ。自分に言ってあげるねん。』


長女:『え〜……そんなんで意味あるん?』


確かに、意味が無いように思える事だと思います。長女が疑問に思うのもわかります。それでも、私がこのような事を長女に伝えたのは、状況こそ違えど、私にも同じような心の壁を乗り越えつつある経験があるからです。


私自身が日々の家事・子育てでイライラする時は、『なんでこんなに頑張ってるのに誰もわかってくれないの?』『こんなに気を使っているのに、うまくいかないの?』と、家族の中で、自分1人が孤立しているような、そんな寂しい気持ちになっていた時がほとんどでした。


でも、身体や心を休めて冷静に考えると、家族は誰も私に文句を言っていなくて、むしろ無理をするなと言ってくれていて、好きにしたらいいよ。と言ってくれていました。結局、誰よりも厳しく、周りの些細な言葉を受けて自分の事を責めていたのは…。私自身だったんです。


それに気がついてから、長女に伝えたような、自分で自分の事を認めるという作業をするようにしていました。そのおかげで、少しずつ楽になっていって、今があります。


私やパパさんが『すごいね』『頑張ってるね』『やるやん』と伝えても、『は?こんなん普通やで』『大した事ない』『うちに褒めるところなんてひとつもない』とガンとして私たちの言葉を受け入れない長女にも、私と同じような心の壁ができているのを感じていました。


ただ、昨晩、”本当は友達が欲しかった”という気持ちに気づいたとしても、その気持ちを認める事ができていない長女。自分で自分の事を認めてあげる前に、”友達が欲しい”という本心を自分で認める方が先かもしれません。


イライラしながら、『うちは、一体何がしたいんやろう… 』『あ、そうか、友達か…』『え〜、友達…。もう、いやや。』『あ〜〜どうしたらいいん!!』


きっと、友達が欲しいという想いがありすぎて、傷つきすぎて、もう、傷つきたくなくて、認めたくないのだと思います。


どうすれば、長女が”友達が欲しい”という自分の本心を受け入れられるか。


正しい方法なんてありません。私は何かきっかけになりそうな言葉を投げかけるしかできません。あとは、長女が勇気を出して、本心を受け入られるかどうか。ただ、待つだけです。


長女が”友達が欲しい”という気持ちを認めるということは、また傷つく可能性があるということを意味しています。今まで傷ついて、その気持ちに蓋をしてきた分、それを受け入れるのには、相当な勇気が要ることだと思います。長女の辛い気持ちを見てきた分、安易に背中を押すこともできません。もしかすると、このタイミングではないかもしれません。


そんな事を頭の片隅に置きながら、眠気と戦いながら(笑)長女と話を続けていました。


『Jちゃんの褒めるところない?なんでそう思うの?』

『どうして、イライラするんだろうね?』


いろんな言葉を投げかけてみます。そうしていくうちに、深夜、長女が自分自身のイライラと戦いながら出てきた言葉は、


『なんで、こんなに辛くなるまであの場所(学校)にいなくちゃいけなかったんやろう…』『あの場所にいなければ、こんなに苦しい想いをせずに済んだのに』『なんで、自分はこんな事になったんだろう』『もっと、普通に生きたかった』『なんで、自分ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないの?』


ボロボロと泣きながら言っていました。


私はハッとさせられました。自分の事を認めるよりも、”友達が欲しい”という気持ちを受け入れるよりも、もっと大切な事があったんです。


想いを吐き出す事。


大切な事が抜けてた…と気づかされ、『そうだね、よく頑張ってきたね。いっぱい泣いたらいいよ。吐き出しちゃいな〜。どんどん吐き出しちゃいな〜』と背中をさすりました。


自分の事を認めようとしたり、友達が欲しいという気持ちを受け入れるにしても、”辛かった”という想いが詰まっている限りは、新しい気持ちが入る余地はありません。辛かった感情を吐き出して、泣いて、その気持ちを捨てられてこそ、やっと新しい事を受け入れられる気持ちのスペースができるのだと思います。


泣いてくれて、よかったです。

でも、結局、長女は少ししか泣きませんでした。


その日は9〜10時間寝た長女。未だ時々、”眠れない”と言っていたり、夢遊病のように苦しんで起きてウロウロする事もあるので、少しずつ気持ちが解放されてきている感じはあります。とは言え、まだまだ、長女の心には重しがいろいろと乗っかっています。吐き出していく時間が必要な感じがします。


それでも、やっとここまできた。光が見えてきた。焦らずいきたいと思います。

SATO LIFE to omogaeru

自然が教えてくれるコト・里山作りのお手伝い・自分なりの生き方、学びのカタチ

0コメント

  • 1000 / 1000