ただ、そこにいるだけでいい
最近、うまく言えないのですが…。
なんだか不思議な感覚でして。
子ども達が学校に行っていないことが、ほとんど気にならなくなってきました。
以前までは、”不登校”という言葉に何か引っかかっていて、何かしらの”解決策”を探し求めていたような気がします。
でも、今は気になりません。
解決をしようとも思わなくなりました。
もちろん、子ども達にとって何か良い経験ができればいいなぁと、常にアンテナは立てていますし、提案をしたり、サポートはしています。
学力というものが少ない事も理解していますが、それ以外の知識・経験を得ているのも事実です。
それでも、我が家の子ども達が間違った道を進んでいるとは思っていなくて、
学校に行けていない可哀想な子達とは思っていなくて、
むしろ、それぞれがイキイキとしています。
それぞれが、自分の道を模索している気がします。
何も問題がないというわけではありません。
それぞれに課題はたくさんあります。
誰かと比べて秀でているわけではありません。
誰かと比べて劣っているわけでもありません。
うちは凄いでしょと言いたいわけでもない。
学校に行けていない子ども達がいて、
居場所をつくりたいって思っていたけれど、
居場所はどこにでもあって、
家でも居場所で
そこにいればそれでいいって。
部屋にこもっていても、それでいいって。
笑って元気でいればそれでいいって思うんです。
不登校というものをクローズアップする必要もなくて、
学校に行こうが
行ってなかろうが、
その子はその子で生きてるんですよね。
日々、畑で作業していると、
育てている野菜でも、稲でも、雑草でも、
それぞれが立派に生きていて。
かと言って、同じものは何一つなくて。
天気や、気温や様々な条件の中で、個性を発揮して、日々成長していて。
時には、どうやったってうまくいかない時もあって。
それでも、立派に成長するものもあれば、小さいままのものもいる。
命ってそういうものなんだなって。
どちらが正解なんてものはない。
そこにあるもの。
それで十分素晴らしいこと。
ちゃんと育てるために、
正しい教育や子育て方法を追求しがちだけれど、
生きることに正解なんかなくて。
人間だって、自然の一部。
生きていればそれでいいんですよね。
生きているだけで、存在する意味はあるし、そこにいる価値だってある。
学校に行っても、
学校に行かなくても
どんな教育方法でも
なんでもいい。
その時、その子が笑える場所、楽しいと思える場所が一番。
笑って、楽しんでさえいれば、何かをしようと思えるし、力も湧くし、動こうとも思える。
正しさは時に争いを生んでしまう。
大人が争っちゃうと、子ども達は自分たちの存在を否定しちゃう。
正しさはいらない。
ただ、そこにいるだけでいい。
それでいい。
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