何かは足元にあるよって子ども達に教えてもらった話
このブログでもちょくちょく書いている気がしますが(記憶力が弱いもので…)
私は以前、”何か”を求めて必死にやっていました。
長男を妊娠して、仕事を辞めたあたりからです。
自由な時間ができると共に、”社会で役に立つ事”がすっかりなくなってしまって、物足りないというか、寂しいというか、疎外感のようなものがずっとありました。
連日22時をすぎて帰ってくるパパさんに、”大変な中働いてもらってる”という感謝の想いと、”自由に動けて羨ましい”という想いと、”働いていない自分は何も愚痴を言えない”というような想いが複雑に絡まって、それを払拭したくて、”何か”を求めて必死にやろうとしていた気がします。
ブログをやり始めたのはこの頃だった気がします。
振り返って記憶を辿ると、本当にもがいていました。何か資格を得ようと調べまくったり、心理学を学びたくて大学院を調べてみたり、出産をすると自由に動けない事にイライラして、社会を変えてやる〜!みたいに意気込んでみたり…。
やっとのことでパートを始めてみたものの、今で言う完全なるワンオペに耐えられず数ヶ月で辞めてしまいました。
もう、自分で何かをやるしかないなと思って、自宅で子育てサロンをやってみたり、育児方法の資格をとってみてインストラクター的なことをやってみようとしたり、ベビー服のブランドを立ち上げて起業しようとしてみたり…
でも、どれもこれもうまくいかず。
長女が学校に行けなくなったんです。
今までの自分を全て否定されたような気持ちになった時もありました。自分が自分にばかり必死になっていたからだ。長女のことを見ていなかったから…。当時、私はPTAの役員をやっていたこともあって、学校で遊ぶ子ども達を見ては、長女に対して、なんとも言えない申し訳ない気持ちに襲われ、車の中で大泣きした事もありました。
そんな辛い面もありましたが、不思議な事に、”ほっと”した部分もあったんです。
長女と向き合う事を理由に、自分の事は”何もしない”という選択肢が目の前に出てきたからです。
外出の予定は必要最低限に。スケジュール帳には徐々に空白が増えていきました。
”何か”を求めて必死にやってきた事に相当疲れていたことに気がつく事ができたんです。
とは言え、”動かなくていい”という安堵感と、”動けない”というもどかしさと、”何か”も”親業”もできていない中途半端な自分に情けなくなる事も度々ありました。
でも、落ち込んでいる暇はなかったんです。目の前で長女が今にも消えそうなほどに元気をなくしていましたから、私も一緒に元気をなくすわけにはいかなかったんです。
長女が生きている事に前向きになれるように、どう声をかけたら良いのか、どう接したら良いのか、必死で考えました。
『産まれてきてくれただけで充分』
『そこにいてくれたらいい』
『笑ってすごせたらそれでいい』
『生きていたらなんとかなる』
『学校に行かない事で人生が終わるわけじゃない』
『今の苦しみは、きっといつか役に立つ』
『人生、無駄な事なんてひとつもない』
etc…
長女の為にと必死に出した言葉は、結果的に、”自分自身”を救う事にもなったんです。
移住、そして生活が一変する。そんな事にまで繋がっていきましたが、今、私はいわゆる”肩書き”のようなものは何もありませんし、収入を得ているわけでもないですし、以前求めていた”何か”もないままですが。とても落ち着いて、幸せな日々です。
周りの方々に助けてもらってばかりで、ダメだなーなんて思う事もありますが、感謝の気持ちに変える様にしています。
幸せや、昔求めていた”何か”は、探さずとも、目の前に、足下にたくさんありました。
それに気づかせてくれたのは子ども達です。
毎日、1日が終わってお布団に入った時、狭いアパートなので、一部屋で家族五人が寝ていますが笑、幸せだな〜としみじみ感じながら寝ています(^^)
そんな経験を通して考えてみると、今、コロナで世の中が大変な感じになっていますが、きっと”何か”に繋がっていくと感じています。
家の中で、自由に動けなくて、辛い思いをしている人はたくさんいると思います。
大変である事には間違いないのですが、”辛い時間”は強制的に”目線”を変えるタイミングな気もしています。
嫌なニュースが毎日流れていて、なんだか気分が滅入りますが、目線を変えて、できるだけ”良い事”を探して、日々を過ごしたいと思います。
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2021.04.19 21:25