子どもは思った以上に大人を見てる
最近、思い出した?というか、
改めて意識した?事があって。
私は子どもの頃から
大人が気になっていました。
というのも、子どもの頃、
周りの友達から相談される事が多く。
内容は、ほとんど”親”が原因の悩みでした。
他にも、いじわるをする子を見ていて、
なんであんな事するんだろう?
と気になって、
ある時、親子でいる所をみたら
あ〜あの子はきっと寂しいんだな〜
と感じたり。
時には、自分自身が先生から
とても大人げない対応をされたりと。
なぜ、立派であるはずの”大人”が原因で、
子どもが苦しむんだろう?
って子どもながらに不思議だったんです。
でも、きっとその大人たちも、
何かしらの原因で
心が満たされていないんだろうな〜
と感じると同時に、
どうすれば、
この負の連鎖は切れるんだろう?
と、どこかモヤモヤと
感じ続けていたんです。
そんな子ども時代だったので、
あんまり楽しくなかった笑
時が経って、
自分が”大人”になって。
”親”になって。
自分自身が嫌いだった”大人”になりました。
自分がこんなにも弱くて情けないんだと
こんな小さな子に怒ってしまってるんだと、
日々、日々、自己嫌悪の連続。
そこからどうやって抜け出せばいいのか
さっぱりわからず
ただただ苦しかったです。
そんな時、長女が学校に行けなくなって。
相当困惑しましたが、
苦しんでいる長女を見て、
自分自身が何か変わらなくちゃともがきました。
なぜ、私はイライラするんだろう?
なぜ、私は学校に行ってほしいんだろう?
なぜ、長女は自己否定の塊になってしまったんだろう?
過去の自分を責める事もありました。
でも、そんな事で落ち込んでいる暇もなく、
このままだと長女が
消えてなくなっちゃう気がして、
ただただ考えて、感じて、
もがいていました。
そして、出てきたのが
自分の”不安”だったんです。
子ども達に向けていたものは
自分の”不安”だったんだ。
大切な子ども達の将来が”不安”すぎて、
自分が安心したいがために、
みんなと同じでいて欲しかったり、
目に見える成果が欲しかったり、
それが抑えられずに”怒り”に
なってしまっていたんだな〜と。
少しずつ、自分の”不安”を
手放そうと思いました。
そのために、子ども達を
”信じよう”と思いました。
自分の”不安”を作っていた
”比較”をしないようにしました。
”不安”は自分で行動して
消化するようにしようと思いました。
”不安”と感じる”未来”に必要なのは何か?
を考えるようになりました。
とは言え、まだまだ未熟でして。
私は”大人”だけど、”未熟”だと、
子ども達に知ってもらいました。
子ども達に助けてもらうようにしました。
すると、子ども達が
助けてくれるようになりました。
あ〜これで良かったんだな〜
って最近感じています。
”不安”と共に、
”大人(親)”とはこうあるべき
というものを手放していったら、
いろいろと楽になってきたんです。
子どもの頃に感じた”負の連鎖”は
知らず知らずに擦り込まれたものを
手放す事で、
断ち切る事ができるのかもしれない?
そんな風に感じてます。
子どもは思ったよりもよく見てます。
私はよく見てました笑
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