不登校じゃなくて、ぷとうこう?ぶとうこう?センスが…ほしい!!
子ども達が不登校になって、
思うようになったんですけど、
”不登校”という言葉を変えたい〜!!!
なんでこんなにネガテイブなイメージなんだ〜!!!
ぬお〜〜〜〜〜〜〜!!!!笑
言霊ってあるじゃないですか?
学校に行けない子ども達を
ネガティブな言葉でよんじゃあ、
子ども達も落ち込んじゃうよな〜って思うんですよね〜。
私もね、
親として、
子ども達のことを
可哀想な感じでよびたくないですしね〜。
周りから、
可哀想な感じで気遣われるのも
仕方ないなと思うものの
なんとなく、違和感があるのです。
可哀想だと思ってたら
可哀想になっちゃうよ。
可哀想に振る舞わないといけないのかな?
とさえ思っちゃう。
不登校は学校の環境と合わなかっただけで
別に人間として終わりでもなんでもないし
勉強してなくても、
勉強はやろうと思えばいつでもやり直せるし
みんなと行事とできなくたって、
これからいくらでも他の思い出作れるよ
友達は作ろうと思えば、
教室以外でもできるし
学校以外の道を選べばいいだけで、
今はまだその選択肢が少ないだけ
学校に行けなくたって
自信を失う必要なんて
これっぽちもな〜い!!
と思うんですよね〜。
生きてさえいれば
笑えていれば
道はいくらでも作れる!!!
と思うんです♪
正確に言うと、
思うようになったんです。
長女が学校に行かなくなった時は
さすがにこんな風には思えなかったですよ。
もちろん、落ち込みもしました。
でも、落ち込んでても、
親子共々しんどいだけで
なんか、納得いかなくて。
(元々頑固なもので)
学校に行けなくたって
楽しい事していいし、
美味しいもの食べていいし、
大笑いしていいよな〜
って思ったんですよ。
そもそも、
長女は学校に行けなくなって
”自分に生きる価値はない”
と、塞ぎこんでましたから
私たち夫婦としては、
学校に戻るよりも何よりも
生きる喜びを感じて欲しかったんです。
不登校?
不幸?
可哀想?
何言ってんだ!!
あんたにだって、
生きる価値はあるんだよ!!
楽しんでいいんだよ!!
生きていれば、なんだってできる!!
学校行けないぐらいで
生きる価値が決まるもんか〜〜!!!
と、
何度も何度も伝えてきました。
そして、今、
公園で遊べるようになったんです。
学校を否定したいわけじゃないんです。
学校で楽しんでる子だってたくさんいますしね。
でも、
行けないからって、
価値が決まるものでもないよね〜。
と、いろいろ語っちゃいましたが。
そんなこんなで、
”不登校”という言葉を
もっとポジティブにしたいと思うものの、
なかなか難しくて〜
何か一緒に言葉を作りませんか〜?
ひとまず、
”不登校”はそんなにネガティブなことじゃないよ〜
って思うようになった理由とかを
伝えていけたらいいな〜って思ってます。
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