できなくていい。楽しい♪でいい。
私は、学校以外にも居場所を作ることが
とても大切だと思っています。
でも、日本の学校教育がダメだ
とは思っていません。
目的がよくわからない校則等、
改善していくべき部分はある気がします。
ゆとり教育の反動で、
盛りだくさんのカリキュラムに加えて、
英語教育とプログラミングも入るとなると、
詰め込みすぎじゃない?
何か減らさないと子ども達パンクしない?
と心配になったりしますが、
英語教育とプログラミングを学ぶ
チャンスができるという意味では
良い事だと思ったりしています。
いろいろな事を
知る・体験することができる
という意味では、
日本の教育はすごいんじゃない?
と思ってます。
5教科に加えて、音楽・体育・図工・家庭科
運動会に音楽会に造形の会、書き初め会etc
本当にいろんな事をさせられますよね(笑)
例えば私の場合、
体育は嫌いでしたが、音楽は好きでした。
両方を経験したことで、
自分は運動が苦手で、音楽が好き
とわかったわけです。
それはやっぱり、様々な教科を教え、
行事をこなしていく学校や先生方の
おかげなのだと思います。
本当に大変な事だと思いますし、
ありがたいと思います。
それなのに、なぜ、学校教育が
こんなに問題視されるようになったのか?
いろいろ考えたんですけど、
ひとつとしては、
学校の評価を重要視
しすぎるようになった
ということなのかな〜
と、思ってます。
学校の成績で
悪いところが気になってしまう
できない事で将来が心配になる
というやつです。
でも、我が家の子ども達が
学校へ行かなくなって、
勉強もしなくなった今、
”できない事だらけ”になって
痛感してます(笑)
学校行かなくても
勉強してなくても
生きられるんやな〜って(笑)
当たり前やん!!
ってツッコミが聞こえてきそうですが
母親としては、
やっぱり子どもを幸せにしてやりたくて
日々必死になるわけですよ。
”みんなと同じようにできること”が
幸せだと思っちゃうんですよ。
だから、
みんなと同じようにできないって、
母親にとっては
ものすごい恐怖なんですよね。
”この子は幸せになれるんだろうか?”って。
でも、違うんですよね。
何が幸せかって、
子ども本人が決めるんですよね。
生きて笑ってたら
幸せなんですよね。
生きてさえいれば
なんだってできるんですよね。
そういう意味では、
学校生活の中で、何ができて、
何ができないかという評価よりも
”何をしている時が楽しそうか”
”何の勉強に興味を持ってるか”
”熱中している事は何か”
という事の方が大切なんだと思います。
算数の文章題が得意とか、
国語の詩を作ってる時が楽しそうとか、
図工の工作が好きとか
体育のマラソンだと張り切るとか
なんでもいいんです。
その子が長い人生、
嫌なことを乗り越えつつ
楽しく人生を過ごしていくための
いわゆる種みたいなものを、
学校生活の中でみつけられたらラッキー
ぐらいで良いと思うのです。
つまり、
学校教育の内容が悪いのではなくて
教わる事全てちゃんと
できるようにならないといけない
というようなプレッシャーや、
勉強の評価=その後の進路=
人生が決まってしまう
みたいな恐怖感が
社会や親にあることが
あまりよくないのじゃないかな〜
と思ったりしています。
その恐怖感は自分にもあったので
よくわかるんですけどね。
我が子がみんな学校行かずで勉強せず
という状況になって
その恐怖感を捨てないと
私の精神がもたないということで、
捨ててみると意外とラクになった…
ので、オススメしたくもあります。
親がラクになるということは
子どももラクになりますからね。
ラクになったらダメになるわけでなく
視界が広くなる感じです。
ラクになっていいんですよ。
楽しんでいいんですよ。
ちなみに、
いや〜うちの子は学校で
何にも興味を示さないんです…
小1から学校にあわなくて…
というのでも別にいいと思います。
その子の興味関心は
”学校以外にある”ってことが
わかったことになりますからね。
学校で学んだことは
社会に出て役に立ちます。
無駄になる学びなんて絶対にないです。
でも、社会には
学校で学ばない世界も
山ほど広がっています。
だから、それはそれで
学校以外の世界を楽しみに行けばいいんです。
学校でもいい
学校以外でもいい
子ども達が笑顔になれる場所
それが一番大切だと思います。
それは大人も同じ。
むしろ、大人が笑顔になることが
大切だと思ってます。
人生、楽しみましょう♪
写真は何年か前にいった、岡山吉備津神社です。
特に意味はないです(笑)
0コメント