一体、何に気がつけば良いのだろう…
久しぶりの投稿です。
最近、とある挑戦をしておりまして、そちらに時間を取られておりました。とある挑戦、またこちらでお知らせできたらと思います。
さて、今日は私自身のモヤモヤを書かせてください〜。
我が家の子どもたちは学校に行っていません。勉強もしていません。そんな中で、子どもたちがお小遣いが欲しくなった時、勉強に取り組むと、その量に対してお小遣いを渡すようにしています。
今までは、子どもたちにとって、間違える・わからないが相当なストレスになっていたので、とりあえず何かを書く、手を使う事を目的として、解答を写す事もOKとしていました。
ですが、最近は様子も落ち着いてきたので、少しレベルをあげる事にしました。学校で紹介してもらった、ipadでできる自宅学習のシステムを使う方法に変えました。書く事はないけれども、頭を使って問題を解く事を課題にしたんです。どの学年の問題も選ぶ事ができるため、我が家の子どもたちにとって、とてもありがたいシステムです。
そして、今、長女が欲しいものができたと言って、この勉強に取り組んでいます。
3年前、割り算の筆算でつまづいた長女。学校に行けなくなった当初は、プリントとか、ドリルとか勉強(特に算数)を目の前にするとイライラがとまらなくなり、落ち着く為に、しばらくテーブルの下などに逃げこむような状態でした。
その長女が、今、『国語はめんどくさい、理科や社会はわけがわからん。算数ならまだできそうだ』と言って、3年生の算数に取り組みだしたんです。私は、驚きと感動を感じながらも、平静を装って、静かに見守っていました。
ずっと勉強をしていなかった長女。現在一応6年生ですが、3年生の算数でもいろいろとつまづいたようです。『なんでこんな問題も解けへんねん!』とイライラしながら、涙をこらえながら、必死に、必死に頑張っていました。いつ投げ出すかと見守っていましたが、投げ出す事なく、なんとか頑張っていました。長女のその成長ぶりに感動しながら、一方ではものすごく複雑な気持ちにもなりました。
長女は、本当は学ぶ事が好きな方なんです。好奇心はめちゃくちゃ旺盛で、何かに疑問をもったり、知りたいと思う気持ちが強い方です。TVで勉強にイキイキと取り組んでいる教室風景を見た時『いいなぁ〜!ウチもこんな学校に行きたかった!!』とポロっと言った事もあります。
そんな長女が勉強をしなくなったのは、勉強が嫌だったからではありません。勉強に取り組む余力がないほどに、心が疲れてしまったからでした。心が疲れて勉強に取り組めなくなり、時間をかけて、やっと取り組めるようになったと思ったら問題が解けない。しかも、3年生の問題。負けず嫌いな長女にとっては更なる試練です。
久しぶりの勉強に苦戦しながらも、欲しいものの為にコツコツ頑張っている長女。落ち着いて問題を解けている時は、なんとなく嬉しそうです。これがまた、学ぶ事の楽しさを思い出すきっかけになれば良いなぁ…なんて願いもあるのですが、頑張る長女から出てくる言葉は『勉強はやっぱり嫌いや…』(涙)
長女が勉強をできなくなった当時は、勉強を手放す事、それが長女が生きる為の最善の方法だと思って選択しました。でも、今、勉強ができなくなって困っている姿を見ると、その選択が間違っていたのかと、なんとなく辛くなります。その上、2〜3年心を休ませる事で、勉強に取り組めるようになったけれども、問題を解けなくて、『勉強は嫌いや』と言っている長女。本当は好奇心が旺盛で、知る事が好きなはずなのに…。勉強はマルを出すだけじゃなくて、いろんな事を知り、学ぶことなのに…。学びたいのに、勉強が嫌い。何かが引っかかる…。何を間違えたんだろう…。
このブログを何度も何度も書き直していくうちに、段々と見えてきました。…結局、学校は関係なく、私が勉強を嫌いにさせてしまったのかもしれません。
”勉強は、誰だって嫌なもの。それを乗り越えるのが当然”
私がそう思っていました。なので、長女は小さい頃から好奇心が旺盛で、いろいろやりたがるし、すぐに触るし、知りたがってもいたけれど、結果的に何かをこぼしたり、汚したりする事が多く、それを”余計な事”としか思えず、かなりの確率で怒ってしまってました。ハイ…(涙)そして、いかに正解を覚えられるか?ちゃんと周りと同じようにできるようになるか?…という勉強をして欲しいと思ってました。嫌な勉強を乗り越えさせる事。それが子育てだと思っていました。
ところが、子どもたちが学校に行かなくなって、その考え方を変えざるを得なくなって、勉強はマルを得る事ではなく、”知る事”だと考えるられるようになったんです。
私は長女のおかげで”勉強”は”知る事”だと思えるようになったのに、学ぶ事が好きなはずの長女が勉強を嫌いだと思ってしまう現象。結局、原因は私にありました。勉強は誰だって嫌なもの。そう教えておいて、今更、学ぶ事を楽しめっていうのも、勝手な話ですね(恥)そもそも長女の好奇心を発揮させたいというのも、私の勝手なエゴでしかないのかもしれない…。
…。
NHKのプロフェッショナルでとある数学の教師の方が言っていた言葉で、『勉強なんて、できてもできなくてもいい。幸せには関係ない』という言葉。結構心に響きました。
『勉強はできてもできなくてもいい。幸せには関係ない』本当にその通りだと思います。…でも、きっと、私は100%そうは思えていなくて、どこか子どもたちにも”学んで欲しい”という願いがある。そうやって私の価値観で見るから、長女が苦しんでいるように見えるのかもしれません。子どもたちを自分の色眼鏡で見る前に、自分自身のことをちゃんとしないと…ですね。
いや〜…私のモヤモヤにお付き合いいただいてありがとうございます。おかげさまで、頭の中が整理できました。後悔する事は山ほどあるけれど、後悔して落ち込んでも周りに心配をかけるだけなので、
今を楽しく生きる。
と、自分に言い聞かせるしかないですね。そして、長女を含め子どもたちの”今”を信じて、”未来”に繋げていくしかいくしかありません。
このモヤモヤした気持ちや長女(子どもたち)を通しての体験が、これから一体何に繋がっていくのか?その時に向けて、自分が今、何をしていくと良いのか?な〜んて事を考えつつ、”とある挑戦”を頑張っていきたいと思います。
みなさま、モヤモヤにお付き合いいただき、ありがとうございます!内容的に、なんだかちょっと暗い感じになってしまいましたが、子どもたちは今日も元気です!
頑張るぞ〜!!
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