長女が教えてくれた、想像をはるかに超える子どもの想い
我が家の3人の子ども達はみんな学校に行っていません。最初に行かなくなったのは、長女です。原因は当初、全くわかりませんでした。ありがたいことに、特にいじめがあったとかではありません。元々はとても楽しそうに通っていたので、最初はなぜ、行きたくなくなったのか、理由がさっぱりわかりませんでした。
ただ、とても気を遣う子だというのはわかっていたので、きっと気を遣いすぎて疲れたのかなぁぐらいに思っていました。しばらく心を休めれば、また楽しくいけるだろう…。と、軽く思っていました。
ところが、現実は全く違っていました。休めば休むほど、行けなくなる長女。学校へ行くと、その間は楽しそうにしていても、夜中になると、夢遊病のように苦しそうに起きてくる長女。一体、長女を苦しめているのは何なのだ??と、私もとても困惑しました。
長女の学年は、1年生からあまり落ち着きはありませんでした。良く言えば、とても元気な学年でした(笑)。参観に行ってもウロウロする子が2〜3人。これが学級崩壊ってやつかなぁ〜なんて思ってました。ただ、難しいなぁと思ったのが、その落ち着きのない子ども達がおかしいかと言えば、そうではなかったんです。確かに落ち着きはありません。でも、悪い子ではないんです。ただ、天真爛漫で、誰かに構って欲しくて、”楽しいのがいい””注目を浴びたい””みんなを笑わせたい”そんな感じでした。
なので、教室が安定した環境ではなかったものの、私からすると、”子どもあるある”でもありましたし、子どもってそんなものだし、そのうち慣れるだろうし、そんな環境も経験すれば、きっと処世術を学べるんじゃないかな〜。と、それぐらいにしか思っていませんでした。
ところが、そんな中で、長女は苦しんでいたようです。天真爛漫な子達が発する何気ないけれど、心無い言葉に傷ついていました。それは、自分に向けられたものだけではなく、周りの子に発せられた言葉にも傷ついていました。
優しいある女の子がとある男の子に泣かされてしまった。助けたかったけれど、何も言えなかった。先生にも事実を伝えられなかった。自分は、困っている子を助けられなかったし、自分を守るために逃げた人間だ。人を助けられない自分は、幸せになる価値がない。
そこまで思い詰めていました。これは、学校に行かなくなって数年してからわかった事です。私にその本心を打ち明けるまで、ずっと1人、『誰も助けられない私は生きる価値がない』と苦しんでいたんです。苦しくて、苦しくて、言葉にさえ出せなかったようです。その思いの深さを知った時、私はたまらない気持ちになりました。行かなくなった当時はまだ3年生だったわけです。その時からここまで深い思いを持っていて、6年生になるまでそんな気持ちと1人戦っていたのです。想像もしていなかった深い思いに、ただただ、自分の無力さを痛感しました。
親である私が思う我が子の心の中なんて、浅はかなもので、自分本位でしかなかったと、気づかされました。
そんな長女は、大きな心の重荷になっていた当時の気持ちを吐き出した事で、少しずつ前向きになっていっています。今もなお、少しずつ吐き出しています。胸の中を吐き出すという事は、時間がかかるかもしれませんが、本当に大切な事だと思います。
今、不登校の問題は大きくなっています。学校に行けなくなる原因は様々だと思います。なので、解決策も一つでは無いと思っています。その中で、我が家の子ども達と同じように、大人の思う以上に物事を深く感じとってしんどくなってしまっている子も沢山いるのではないか?と思っています。
学校に行きたくないという思いが、大人が想像する単純な”わがまま”ではない場合も多いと思います。たまたま、私は長女を通して、その事実を知る事ができました。なので、この長女の話がどなたかのヒントになればと願っています。
0コメント