イライラが教えてくれた、長女の心の底にあったもの
久しぶりに、長女とゆっくり話をしました。
長女には好きなゲームがあって、プロになりたいと頑張っています。1日に3度ある、ランクが決まるマッチは必ずやっています。その時間に合わせて、自分で生活リズムを組んでいます。なんとか自分のレベルを上げるように日々頑張っています。
ところが、その想いが強すぎて、ゲームがうまくいかなかった時、ものすごい勢いで長女が長女自身を追い込みます。
『なんでこんな事ができへんの!』『情けない!』『おかしい!』『なんで努力せえへんねん!』
文字に書き起こしたくないような言葉も使います。言葉が悪い場合は『その言葉は使わないで』と声をかけますが、その自分を責める勢いは聞いていて辛くなるほどなので、どうやって声をかけたら長女が落ち着けるのか、楽になれるのか、いつも悩んでます。『自分を責めるのは、よくないよ?』とそのまま伝えると、『ごめん、みんなに迷惑かけてごめん』とまた自分を責めるので…、難しいです。
こういった状況を書くと、”ゲーム中毒なんじゃないか?”と心配されると思います。私もそう感じる事もあり、心配してました。でも、だからと言って、無理やりやめさせる事はできません。無理やりやめさせる事は、私の心配を取り除きたいという私の都合でしかないからです。
現状、長女にとってゲームは、生きるために必要な事(居場所)のひとつです。他に楽しい事をみつけるのか、そこに執着してしまう理由に本人が気づかない事には何も変わりません。
なので、ゲームをやる事は、今の長女にとって必要な事だと認識しているのですが、それでも、負けた時の自己否定がひどく、本人もしんどそうなので、”何か原因があるのではないか?”と日々気になっていました。
私:『どうやったら楽しくできるんだろうね?』『悔しがるのはいいと思うけど、そんなに自分のことを責めなくてもいいんじゃない?』『頑張れるものも、頑張れなくなるよ?』
長女:『このゲームは楽しいねん。強くなりたいねん。』『自分が努力すればいい話。それができないからイライラする。』『でも、なぜ、こんなにイライラするのかわからない。うまくいかないと自分が悪いと思ってしまう。』
本人も感情のコントロールに困っていました。
そして、先日、やっと?”なんで、うまくいかないと、全て自分が悪いとイライラしてしまうのだろう?”と長女自身が自分の心のクセに疑問を持ちました。
『いつからかがわからない。何がきっかけだろう?』『気がついたら、うまくいかないのは全て自分が悪いと思うようになってる…。』
ここから、長い話が始まりました。長女自身が、自分の気持ちを紐解きたくて、紙を出してきて、いろいろと書き出しました。
幼稚園から始まって、小学校1年…2年…どんな事があったか?その時はどんな気持ちだったか?なぜ、そんな気持ちになったのか?と言うのを、2人でやりました。
長女自身が過去を振り返りながら『あ〜あれは嫌やったなぁ〜。でも、この時点ではそこまで自分を責めたりはしてなかったな〜?』『いつからや〜?』と、2人で話を続けていきました。
そして、いろんな話をしながら行き着いたキーワードは…”友達が欲しかった” だったんです。
友達にとにかく気を遣っていた。嫌われたくなかった。友達がたくさんいるお兄ちゃんが羨ましかったから、私もお兄ちゃんみたいに友達が欲しくて、ずっと気を遣っていた。
何気なく発した長女の言葉。”友達が欲しい”なんて、多くの人が思うこと。長女がそう思ってるのも知っていました。
ただ、長女は、私の思う以上に友達を作るための努力をし続けていて、ことごとくそれがうまくいかなかった。という現実が繰り返されていくうちに、傷ついた心を自分で癒す事もできず、どうしたら良いのかわからず、相手を責めることもできず、でも、そのまま放っておくことも辛すぎて、”友達ができないのは自分が悪いからだ”と思い込む事で、自分を守っていたんです。
全て自分が悪いと自分に納得させ、傷ついた自分の心に蓋をすることが、長女が今まで進むために必要なことだったんです。それに気がついた長女。受け入れられず、もがき苦しんでいました。
『そんなことはない!!1人の方がよっぽど楽や!!』『人になんか会いたくない!!』
言葉ではそう言っても、涙がボロボロと溢れてきていました。よっぽど、よっぽど辛かったのだと思います。
『こんな気持ち、気づきたくなかった!』『どうすればいい?』『もう、あんな思いをしたくない!!』
でも、『友達なんかいらない』とは言いません。『1人の方が楽だ』としか言いません。
それだけ、気を遣って、遣って、苦しんできたのだと思います。もし、苦しんだ結果、本当に1人が楽だという答えに行き着いていたのなら、きっと今、長女は自分を責める事で悩んだりしていないはずなのです。
例えるなら、一緒に楽しみながら食べたいと、相手を想って作ったケーキを捨てられるという経験が何度も何度も続いて、捨てられる事に傷つくのが嫌で、ケーキを作る事が嫌いだと思い込んでいたけれど、本当はやっぱりケーキを作るのが大好きだと気づいてしまったという感じです。本当にケーキを作るのが嫌いだったら、今頃、違う好きな事を楽しんでいるはずなのです。
この気持ちに気づけた事は、とても大きな一歩です。長女にとっても、私にとっても、苦しんでいる”本当の理由”がやっと見えた感じでした。
ただ、本当は”友達が欲しい”という想いに気づけたのは、”うまくいかないと、全て自分が悪いとイライラしてしまうクセ”の原因を考えたからでした。
その結果、”友達が欲しい”という気持ちに気づいたけれども、自分を悪いと思うクセをどう解決していけば良いのかがわからない…。という課題ができました。
その課題も前進したからこそではあるのですが、長女にとっては新たなる試練です。しばらく、夜に話をする事が続きそうです。
この続きはまた。
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