自分を真ん中にすれば、みんなが幸せになる
”こどもを真ん中に”
そんな言葉をよく目にします。
とても素敵だな〜って思います。
でも、私は
”こどもを真ん中”
の前に
”自分を真ん中に”
の方が大事な気がしてきた今日この頃です。
”自分を真ん中に、子どもを見守ろう”
的な。
何を急にって感じですけど
実は、私にとっては
子どもの頃からずっと気になってた事だったりするんです。
私、小さい頃から、
記憶をしているのは小4ぐらいから
友達の悩みを聞くことが多かったんです。
いろんな内容がありましたが、
中には、”家族のこと””親のこと”
結構、ディープな内容もありました。
私は小学生なりに、
真剣に友達の相談を聞き、
一緒に悩んでいました。
そして、いつも思っていました。
”なんでこんな悩みがあるんだろう?”
”なんでみんな幸せになれないんだろう?”
”大人になると、楽しいわけじゃないの?”
どの悩みも
”誰が悪い”ではないし、
みんな一生懸命なはず。
親が子どもを心底嫌に思うわけもなく、
それでも、歯車が合わないことがある。
それはなぜ?
そんな事を、
小学生ながらに感じてた記憶があります。
そして、中学・高校と成長するにつれて
友達の家族以外にも、
”大人”を意識することが増えました。
先生です。
先生もいろいろいました。
素敵な先生もたくさんいらっしゃいましたが、
素敵な先生の顔をした、
いじわるな先生もいました。
個性的で、理解不能な先生もいました。
それも不思議でなりませんでした。
”大人”なのに、なんでおかしな人がいるんだろう?
何を考えてこんな風になるんだろう?
根っから悪い人間ではないのだけれど、
でも、何かがおかしい…。
”大人”が子どもが思うほど”完璧”ではない
それはなぜなんだろう?
そんなことを疑問に感じたりしながら、
自分がその”大人”になりました。
私自身、仕事や子育てで大きくつまづきました。
そして、自分が子どもの頃から不思議に思っていた
”おかしな大人”になったわけです。
心や身体を壊し、
思い通りにならない時間を過ごしたこともあります。
子育てでは、
怒りたくもないのに
怒る方法しか思い浮かばない。
本当は怒りたくないけれど、
やり方がわからないし、
どうしたらいいかわからないし、
罪悪感しかないし、
不安でしかないから、
自分のやっていることを
とにかく肯定して進むしかない。
という、
なんだかよくわからない
必死な日々もありました。
子育て支援みたいなことをすれば、
自分も、周りの大人も
楽になれるかもしれない。
そんな考えで、
子育てサロンとか、
起業に挑戦したこともあります。
どれもうまくいきませんでした。
そうこうしているうちに、
三人の子ども達が学校に行かなくなったわけです。
なんで?
私が怒りすぎたから?
私が子ども達の人生を狂わせた?
一体、私の歯車はどこでおかしくなってしまったのか。
わけがわからない。
そんな日々があったのですが、
子ども達と向き合ううちに、
”自分を大切にする”
というキーワードが浮かんできたんです。
学校へ行けず、
それを負い目に感じて
自信を失って、
生きる力が弱ってしまっている
子ども達を見ていて
自分のせいだと落ち込んでいる暇はないなと。
前に進むしかないなと。
『あなた達は、ただ学校にあわなかっただけ』
『自信を失う必要なんてない』
『あなた達が楽しいと思える場所はどこかに必ずある』
子ども達に自信を取り戻して欲しい。
そんな思いで必死に
子ども達に声をかけていました。
そして、
”あれ?私自身はどう?”
と、思ったのです。
結局、私自身が
自分を大事にできていませんでした。
家族のために、
子ども達のために、
自分の気持ちはいつの間にか
どこかに忘れてしまっていました。
そして、
少しずつ、少しずつ
”自分の気持ち”を意識するようになったんです。
今、私はどう思ってる?
何を感じてる?
何をしたい?
そんな事を繰り返していくうちに、
過去から最近に至るまで
いろんな想いが湧き出てきました。
我慢をし続けてきたこと。
気を遣い続けてきたこと。
本当は嫌だったこと。
それを想い出しては
紙に気持ちを吐き出して、
山を見て、
涙を流したりしていました。
そして、少しずつスッキリしていきました。
あ〜…
ずっと自分は頑張ってきていたけれど
自分がそれを全く気づいてあげれてなかったな〜
何よりも、誰よりも
私が私に一番厳しかったんです。
長女を見ていて、
自分に厳しいな〜って思ってましたけど
私がそうだったんです(笑)
そんな厳しさに気がつき、
ちゃんと自分で自分の気持ちを癒したり、
自分を褒めたり、
労える様になって、
見える世界が変わってきました。
肩の力が少し抜けて、
自分が楽しいと思えることを
自分のためにできるようになってきました。
そして、思うようになったんです。
私が小さい頃から
不思議に思ってきた”大人たち”も
私と同じかもしれない。と。
大人と言えど、
自分の心が安心していなければ
満たされていなければ、
どこか歯車を間違えてしまう。
子どもを叱ってしまう
とかだけではなく、
誰かに頼る事も難しくなったりします。
自分の素直な気持ちを
伝える事も難しくなったりします。
自分が我慢しすぎて、
人にも厳しくなりすぎたりもします。
人から褒められても
受け取れなくなったりもします。
人間、
子どもであろうが、
大人であろうが、
”自分の心”が一番大切なんですよね。
だって、
”自分”が産まれてきて
”自分”の人生です。
誰も”自分”の代わりはできません。
例え、我が子であっても。
”自分”の人生は”自分”のものでしかないわけです。
だから、
社会の宝である”子ども”を真ん中にしていくことは
とても大切だと思うのだけれど…。
私が子どもの頃から感じてきた
”大人”の心の問題は
確実に”子ども”に影響していたわけで、
小学生の時、友達は確実に悩んでいました。
そして、私は相談を受けていました。
子どもといえども、
大人の心の問題をどこかで感じて
かなり気を使っていたりします。
今、大人の人だって、
思い返せば子供の頃、
自分の親の不安を感じて
気を使ってきた経験は
誰しもがあるのではないでしょうか?
だからこそ、
”子ども”ではなく
”自分を真ん中”にして、
”大人”も人生を楽しんでいれば
”子ども”も楽しく生きていける気がするのです。
人の想いは川のように流れています。
大人の想いは子どもに流れています。
子どもを真ん中にしても
大人の心が満たされていなければ
子どもに流れていくものは
”不安”になるのです。
だからこそ、
”自分を真ん中に”
だと思うのです。
大人が笑っている社会は
必ず子どもも笑顔になります。
いいんです。
自分を大切にして。
それは必ず良い流れを生み出します。
私も今、日々、自分に言い聞かせています。
私の笑顔は、
子ども達に流れていっています。
少しずつ
少しずつ
0コメント