苦手なものにも意味がある


私は本を読むのが苦手です。


よっぽど自分が関心のある本であれば読めますが、お恥ずかしい話、”小説”と言われるような本は、今までに読んだ事がありません。


子どもの頃からなんとなく”本を読める”人に憧れて、何度も読もうとしたのですが、どうしても読めないんです。頭に入ってこないというか、眠くなるというか…


自分でブログを書くようになって、文章がうまくなりたくて、語彙を増やしたくて、本を読もうと何度も思うのですが…。読もうと思うと、気持ちに負担がかかるんです(笑)


情報系の本であれば、まだ興味があるので、本屋さんで読みたいなーと思ってパラパラみるのですが…。よっぽどでないと購入しようとは思えず…。


学校に行かなくても”本は読もう”


と、よく聞きますし、実際そう思うので、子ども達に伝えたりもしますけど、自分が読めないので、あまり強くも言えず(なんなら、読む気になれば、私より子ども達の方が本を読む能力があります)


世の中の”本は読もう”という空気が、どうにもそれができない自分にとって、軽くプレッシャーにもなってまして…。


”本を読めない”事にコンプレックスさえ感じています。


でも、ふと気づいたんです。


私は、本を読めない代わりに…と言うのは違うかもしれませんが、”人の話を聞く”事は大好きなんです。私の知識や価値観や情報は”人の話”がほとんどです。


子どもの頃を振り返ってみると、私は中学まで成績はそんなに悪い方ではなかったのですが、テスト勉強はとにかく容量が悪く、苦手で、やろうとする姿勢だけで、ただ寝不足になって、机に向かっていた意味はほぼなかったと思います(笑)


どうやって成績を維持してたかって、授業中の話とか、普段の家庭の会話や、テレビから得た知識を総動員してテストを解いていて、あとは、提出物などの真面目さでカバーしていたようなものです(笑)


なので、高校に入って、落ちぶれました(笑)授業を聞いていて、とても面白く興味があった生物だけ成績が良かったのですが、理系に進むにしても数学はまるでダメだったし、文系に進むにしても本も読めずに国語力ゼロでどうしよう…と思っていた時に、”児童教育学科”とい指定校推薦の枠がたまたま空いて、そこに行けたんです。”教育”という”人”に関する分野に関心もあったので、本当にラッキーでした。


思い返せば、”人の話を聞く事”で生き繋いできたような私(笑)


それは”本を読めなかったから”ついた能力かもしれません。


そして、今、”人の話を聞く事が好き”が高じて、”人が集まる場所”を作りたいと思っています。


人の話は、その人の経験や価値観や魅力が詰まっていて、私にとっては宝物のように感じるからです。


そんな人の話が集まる場所をつくることで、だれかがその場を自分の居場所に感じれたり、自分の道を見つけられる。そんな場所にできたらいいなぁと思っています。


なんだかね、そんな流れをぼーっと考えてると、”できない事”にも意味はあるのだな〜と感じる今日この頃です。


誰もが持っている、”できない”・”苦手”と、コンプレックスに感じている事。それはダメな事ではなくて、必ず何かに繋がる必要なものなんだと思います。


あっていいんですよね。


要は、ありの〜ままで〜♪ってやつですね。


ほんと、うまくできてる言葉です。

SATO LIFE to omogaeru

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