学びって?


私が移住を軽井沢・御代田で検討したきっかけの一つでもある


軽井沢風越学園


結局、我が家の子ども達はこの学園にも関心を示す事がなかったので、見学もせず、願書も出していませんが、こちらへきてお友達になった方のお子さんが通っていて話を聞いたり、この学園のコラムなんかを読んでいると面白い場所だなーといつも思います。


我が家の子ども達が、もっと早くにこの学園と出会っていれば(この春開校したばかりですが)きっといろいろと違っていただろうなーなんて思ってしまいます。


でも、それはあくまでも私の価値観・考え方であって、子ども達の目線ではないんですよね。


子ども達には子ども達の直感や感覚があるのだろうと思います。今となっては、不登校という経験も運命なんだとも思っています。


先日、御代田の”なから”という居場所事業をされている方も”その時がその時”だと話してくださいました。


我が家の子達にも、ちゃんと”その時”がくると。


子どもはちゃんと自分が進むべき場所を知っていて、そこに向かうようになっていると。


子どもの力は凄いと。


その通りだなと思いました。




今、コロナで以前にもまして教育について議論される事が多いですよね。どのような場所で、どのようなやり方が必要か…。


私は、その議論にも違和感を感じるようになりました。


子どもの成長に必要なのは”正しい教育”ではなくて、子ども達の中にある宝(能力・才能)を周りの大人が信じて待つ事なのだと思うようになりました。


今、子どもの育ちを”教育機関”に頼りすぎな気がします。


答えは方法ではなく、子どもそれぞれの中にあるんだと思います。


学校や、風越学園は、子ども達の選択肢の一つにしかすぎません。


我が家の長男にとっては、今、”田んぼ”が大切な学びの場になっています。


他の子も、学びの場が、台所であったり、畑であったり、山であったり、アートな場であったり、なんでも良いのだと思います。


学力だけを測る事は、子ども達の未来を狭めている気さえします。


私が畑や田んぼをやってみて日々痛感しています。”生きるための学び”がこんなにもあるのかと。それを知る機会が”学習”によって、ほとんど奪われてしまっている事にとても悲しさともったいなさを感じています。


学びは学校以外にも山ほどあります。


もちろん、学校にも学びがあります。学校の学びのカタチを状況によって対応していく事も大切だと思っています。


でも、学校にこだわる必要もないと思っています。


大人がそこに気が付く必要があると思っています。


今、きっとそのチャンスなんだと思います。


生きる事はとても豊かで素敵です。


私はそれを日々、自然から教わっています。

SATO LIFE to omogaeru

自然が教えてくれるコト・里山作りのお手伝い・自分なりの生き方、学びのカタチ

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